終わる関係でもいいじゃないか

 就職が決まったので退職したいと、アルバイト先の上司に伝えると、最初は名残惜しい顔をされたがあっさり承諾してくれた。転職するきっかけを訊かれたので正直に「いつまでも子供のままじゃいられませんから……」と、答えると「その話を、うちの社員たちにも聞かせたいものだね」と返された。私の職場は連携力とかあえて綺麗な言葉を使うなら絆とかがなく、非協力的集団だった。自分が規定したやるべき業務の範囲外のことがある場合、動ける人が解決することがほとんどで、特定の人が何でもかんでも負担を背負うことになる。ちなみに私はそちら側の人間だったので利用させられている気持ちがずっとあった。ところどころ部品が無くなって機械は壊れているならば、機械を買い換えるか部品を交換するべきだ。潤滑油を用いて無理矢理稼働させたところで解決にはならんよさもありなんという心境だった。社員の中にもやるべきことを増やしたくない考えの人が少なくない数いて、生じた問題を報告しても「ああそうですね」で流される異常。周りの社員たちに嫌気が差している上司に、私は心の底から同情する。後ろ髪を引かれる思いが無いわけじゃないが、自分の方が大事だ。あとは自分たちでなんとかしてくれー!
 
 というわけで、退職である。退職に必要な手続きは済んでいるので、あとは流れに身を任せて4日ほど出勤すれば新生活の始まり。やらなきゃいけないことといえば、お世話になった人にちゃんと別れの挨拶をするくらいだろうか。と、考えていた矢先、顔を合わせたら時々話すくらいの関係だった先輩からご飯に誘われたので、仕事終わりに回転寿司に行くことになった。
 
 なんだかんだ三時間くらい話していたが、内容については省略。後日、アルバイト先に行ったとき「実はあの先輩から誘われてご飯を食べに行ったんだ」と、自慢げに同僚に話すと、しばし私の顔を見て「ずいぶん楽しそうに話すな」と言う。首をかしげる私に、彼は言葉を続ける。
 
「もう会わないかもしれない相手なのに、って思ったんだ。だってお前とあの人って特別仲がいいってわけじゃないだろ。おおかたその場だけで終わってしまうよな。たぶん二度と会わない。そんな泡みたいな関係なのになんだか楽しそうに話しているから、ちょっと不思議だった」
 
 私は少し考えて説明する。みんなが深い関係ばかりを大切にする気持ちが、実はよくわからない。その場かぎりだとか、表面上だとか、そういう淡い関係が、なんだか偽物みたいに言われることがあるけれど、どうしてかなと思う。その場かぎりにはその場かぎりの礼節や親切があって、それを交換できた相手はよいものだと思う。同じその場かぎりでも好ましい相手とそうでない相手がいて、好ましい相手にはちゃんと好意を示すべきだし、相手からそれをもらえたら嬉しいと思う。
 
 仕事がらみの知り合いとか、集団にいるからなんとなくやりとりがある相手とか、ネットでしか繋がっていない相手とかもそう。話題は限られているけれど、その中にもよい関係はある。自己開示が多い関係だけがよい関係なのではないし、信頼感を強く持てる相手だけを尊重するのもおかしいと思う。
 
 ろくに知らない人の、ささやかな親切はめちゃくちゃ大事。それで救われることだってある、少なくとも私は、お互いになんとなく親切にできる相手がいっぱいいる世界を望んでる。たとえばひとりの恋人と何でも話せる三人の友だちがいて、あとは全員敵だという世界に放りこまれたら、愉快に生きられる気がしない。
 
 話し終えて、同僚を見る。彼は少し笑って言う。とても健全だ、健全で好ましい。でも世の中にはその世界に住んでいる人もけっこういると思うよ。深く愛しあうひとりの恋人と何でも話せる三人の友だち、あるいは全幅の信頼を寄せる伴侶と両親と子どもがいて、それ以外はみんな敵だという世界に。もしかすると自分だけがいて、あとはだれもいない世界に。そういう世界に住んでいる人にとって、泡のような関係はただ煩わしい義務にすぎない。彼らにとって、泡のような関係の相手はほとんど人じゃない、景色の一部のようなものなんだ。だから人じゃないみたいにあつかわれることがあっても、無防備に傷つかないように。
 
 私はおかしくなって笑った。私はもうそんなにやわらかな人間じゃない。それに、少数の親しい人や自分ひとりだけできれいに完結できる人を、私は少しうらやましいと感じる。